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2005年09月20日

円満井会定例能 能「土蜘」

9月18日に神楽坂矢来能楽堂に行ってきました。お目当ては「土蜘」です。明治になって能が今までの形態を維持できなくなってきました。その頃に長唄の二世杵屋勝三郎が能との掛け合いの曲を作曲しました。これはかなり画期的なことであり、それまでの歌舞伎に依存していた長唄にとっては新しい試みでした。そして、作曲された物に振付けされ、舞台で役者が踊って流行したのです。所謂「松羽目物」です。歌詞は能の地謡からそのままとっている所が多いです。私の場合は長唄でよく聞いている物を能でみますと、あっ、長唄と同じ、と思い本家に申し訳なく思います。

さて「土蜘」ですが、歌舞伎と同じ、、前シテ 僧 後シテ 土蜘の精、源頼光、太刀持、胡蝶。間狂言独武者二人。

頼光が病にかかったので、侍女の胡蝶が薬を持って帰り、薬を飲んで治して下さいと慰めます。不安の消えない頼光が眠っていると、夜半に得体のしれない怪僧が訪れます。不審に思う頼光に向かって僧は蜘蛛の糸を吹きかけ捕まえ様としますが、枕元にある太刀で切りつけられ、僧は糸を吹き上げ逃げ帰ります。
前半は歌舞伎ですと僧がたっぷり踊りますが、能は出てきてすぐに糸を投げて引っ込んでしまいます。間狂言が済んで、後見二人が作り物の塚を運んできます。幕の中には後シテがいるようです。独武者は数人の武者を引き連れ葛城山の塚までたどり着き、その塚を崩すと、中から土蜘の精が表れます。後見が幕を外すと鬼が座っていて蜘蛛の巣がはってあるのを破って塚より出てきます。このあたりは歌舞伎と同じだな、と思いながら見ていました。次々に例の糸を投げて戦いますがついに首を討たれてしまいます。

演じたのはまだ二十代半ばの金春憲和さんです。父安明さんの指導で若々しい迫力ある土蜘でした。
「疑問に思ったので父に聞いた所、独武者の『ひとり』は火取りとも書くそうで、孤独な武者、という意味ではないそうです。演能中に使われる蜘の巣は、鉛の芯に薄い紙を幾重にも巻いた物で、投げるとパッと放射状にひろがる能の中でも特に派手な道具です。子供の頃から演じてみたい(蜘の巣を投げたかっただけですが)曲だったので、今から本番が楽しみです。」憲和さん談。
今までみた能の中では一番動きがあって面白かったです。演じるのも発散できて楽しいと思います。率直なコメントが微笑ましいです。

投稿者 佐千菊 : 2005年09月20日 01:09

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