« 「夢の仲蔵千本桜」レポby由比が浜さん | メイン | 円満井会定例能 能「土蜘」 »
2005年09月19日
「こころに残る言葉」宇野信夫
宇野信夫は「戯作者小伝」という安政3年に出版された本を読んで、大南北の墓が本所押上長養山春慶寺にあることを知りました。南北の作中の人物を借りて狂言を書いたお詫びと尊敬する作家の墓所に参詣もしたいという思いから、春慶寺を訪れることにしました。以下引用します。
<地下鉄押上駅の入口前でタクシーを降りると、元の電車通りを越して銀行がある。その筋向うに寺らしい門が立っている。入ってみると、寺には違いないが、門のわきにバラックが二軒並び、正面に古びた寺らしい建物が立っている。(中略)門を入って左手の銀杏の根かたに、無残に欠けた墓石が倒れている。住職はそれを指して、これが南北の墓だ、という。(中略)南北のような偉大な作家の墓がこの有様は情けない、~せめて倒れた墓石を元へ起こすだけのことでもさせて貰いたい、~とにかく南北の墓の事は私に任せて下さい、と私も大きなことを言ってその日は別れたが~私は石屋に、この南北という作家の偉大なことを説き、大事に墓石を起こすことを頼んだ。石屋は私の心持ちをくんでくれて、なんとかしましょうという。それにしてもこの墓石は、人間なら相好がくずれているようなものだから、後々の為にも、そばに、これがその豪い人の墓であることを石に刻んでおいたら如何だという。で、数日後、北千住の石の売り場へ行って、石を選んで貰った。
「なつかしや本所押上春慶寺鶴屋南北おくつきところ」
偉大な作家に対し、いたずらに私一個人の感慨をのべるべきでない事を思い、右のような、ただこの不世出の作家の墓のありかを人に示すにとどめる歌を詠んだ。石屋はそれを彫ってくれた。そして墓石を起こして、その傍に立ててくれた。それは偶然にも南北の祥月命日の前日のことであった。>
長文引用になりましたが、無残な墓石をみて、そのまま帰る事ができず、何とか石を起こして大南北の墓を整えたいという宇野信夫の気持ちがよく分かります。
この前後にも住職の人間描写、あたりの様子など、いかにも生世話作者らしい随筆ですので、お読みになるようお薦めします。
「こころに残る言葉」朝日文庫 昭和61年10月20日 第1刷発行
著者 宇野信夫
投稿者 佐千菊 : 2005年09月19日 00:07
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://sachigiku.com/mt-tb.cgi/364
コメント
コメントしてください
サイン・インを確認しました、 . さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)