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2005年05月13日

七代目三津五郎の曾孫

踊りの名手であった七代目三津五郎はしばしば「踊りの神様」といわれ、『靱猿』『喜撰』などは素晴らしかったと聞いています。子供運がなく、八代目三津五郎は養子、九代目は婿養子、そして当代は曾孫にあたります。七代目はこの曾孫の寿君を大変可愛がっていて、亡くなる直前に「寿には私が元気になってから教えるのだから、誰にも稽古をさせてはいけない」と言っていたそうです。寿君の将来に期待をしていたのが、よく分かります。
今月の昼の部『芋掘長者』は45年振りに復活、振り付けも大和屋が手がけて、実に良い舞踊劇になりました。当代三津五郎は曾お祖父さんの期待通りに成長したと言えますね。

投稿者 佐千菊 : 2005年05月13日 01:23

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コメント

さちぎく様 戦後の昭和歌舞伎を観てきた方は、(梅幸、菊五郎、菊之助)松緑(豊、亨、嵐)(11・12代目、海老蔵)(勘三郎二代、勘太郎)等々、三代が普通なんでしょう。
びっくり!大和屋の場合、私め 晩年の七代目には間に合いましたから〜現巳之助まで(五代)観たことになります。

その間、最大の事件は八代目急死後の家元・歌舞伎役者、いわゆる三津五郎二人騒動。
七代目は小柄なお爺様の印象、矢の根の五郎とか操り三番叟は確実に覚えております。踊りは神様でしたが、歯の抜けたような科白廻しが子供心に強烈でした。

投稿者 浜 : 2005年05月17日 20:15

浜ちゃん、大和屋とは五代奉公!スゴイ!先代は簑助時代のほうが良かったかな、襲名後直に亡くなられたしね。

投稿者 佐千菊 : 2005年05月17日 23:18

簑助の名前は(竹が衰える)って、余り良い意味ではありませんので、縁起をかつぎ当代の子息は巳之助を名乗ったそうです。
今後、簑助という名の役者は出ないのではと思います。

投稿者 白玉 : 2005年05月20日 18:17

白玉さん、成る程!合点!合点!合点!
八十助→三津五郎ですものね。簑虫っていう名の人いますねぇ。改名したのかな?

投稿者 佐千菊 [TypeKey Profile Page] : 2005年05月20日 20:55

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