2005年11月30日
ブックマークの変更をお願いします。
明日から師走です。忙しくなる前に引越し致します。 恐れ入りますが、下記のURLになりますので、ブックマークの変更をお願いいたします。 今後とも御贔屓お引き立てのほど、よろしくお願い申し上げ奉ります。 http://www.sachigiku.com/投稿者 佐千菊 : 22:23 | コメント (0) | トラックバック
2005年11月15日
「雨の五郎」の引っ込み
今月昼の部に吉右衛門が「雨の五郎」を踊っていますが、花道から出ないかわりに、幕切れは花道から引っ込みます。
「雨の五郎」の段切れ<花のお江戸の浅草に、開帳あるぞにぎわしき。>と終わってから花道に行き「初子の日」(はつねのひ)、の二上りに乗って引っ込みます。
歌詞が洒落ていますので、ご紹介します。昨今のラブソング顔負けの歌詞です。
<咲き初めし 梅を縁しのはじめにて かざす桜の色も香も 花ですむ世を浮気に拗ねて 気儘らしさの枝ぶりも 折りて床しき花活けの 水も濁らぬ末かけて 梅と桜の花心羨まし>
~浮気にすねて、あたりまででしたか、鳥屋へ入ったと思います。(すみません、3諧ですと最後まで確認できませんので悪しからず)
これからご覧になる方は耳を澄ませて観て下さい。
投稿者 佐千菊 : 00:44 | コメント (0) | トラックバック
2005年11月02日
富十郎の「うかれ坊主」
歌舞伎座初日、昼の踊りから観てきました。
富十郎の「うかれ坊主」が飛びっきりよろしいです。お習字でいえば草書、軟らかい線でいて全体のバランスがよく、止め、はね、はらい等がきちっと書かれています。これまでにも何度も観ていますが、一段と磨かれた感じです。
「雨の五郎」の吉右衛門ですが、動きが鈍い(衣裳、下駄のせいでしょうか)しかし、五郎の年齢らしく、幼い可愛い感じでした。セリ上がりで登場ですが、歌詞に<雨の降る夜も雪の日も通い通いて大磯や~>とあるので、花道からの出の方が好きです。
「文七元結」は今年のお正月演舞場で、尾上右近襲名披露を兼ねた豪華メンバーによる舞台を観た後なので、どうしても比較してしまいます。世話物は特ににアンサンブルの良さが必要となりますので、全体のノリとかテンポとかが問われます。幸四郎の長兵衛はどこか分別くさい親方の印象でした。人が良くて、バカで、人情深い江戸っ子のにおいが薄かったと思います。
投稿者 佐千菊 : 00:15 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月26日
千秋楽「河庄」の後におまけ
今日は昼夜行ってきました。
夜の部の「河庄」の後に雁治郎から挨拶があるので、席をたたないように、というアナウンスがありました。
幕になって、場内暗くなり、やがて幕が開くと中央に雁治郎一人が座っていました。
立って少し前に歩いて、丁寧におじぎをして御挨拶。
「今日は雁治郎最後の舞台をこんなにいっぱいの方に観て頂いてありがとうございます。15年前に同じ『河庄』で雁治郎を襲名して、又雁治郎最後の舞台も紙治になりました。雁治郎は終わりでも、わたくしはおわりではありません。京都の顔見世で坂田藤十郎を襲名し、お正月はここ歌舞伎座でやります。どうぞ観にいらして下さい。まだまだ私は元気です。藤十郎を襲名して上方歌舞伎を残していきたいと思います。一生懸命精進して生涯上方歌舞伎を演じていきます。」
表現は多少違いますが、大体こんなようなご挨拶でした。
イヤァーー!エネルギッシュな方です。パワーを感じます。上方歌舞伎に力をいれ、独特の芸風を残してくれることでしょう。
先ずはご報告まで。
投稿者 佐千菊 : 22:54 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月20日
円満井会定例能 能「土蜘」
9月18日に神楽坂矢来能楽堂に行ってきました。お目当ては「土蜘」です。明治になって能が今までの形態を維持できなくなってきました。その頃に長唄の二世杵屋勝三郎が能との掛け合いの曲を作曲しました。これはかなり画期的なことであり、それまでの歌舞伎に依存していた長唄にとっては新しい試みでした。そして、作曲された物に振付けされ、舞台で役者が踊って流行したのです。所謂「松羽目物」です。歌詞は能の地謡からそのままとっている所が多いです。私の場合は長唄でよく聞いている物を能でみますと、あっ、長唄と同じ、と思い本家に申し訳なく思います。
さて「土蜘」ですが、歌舞伎と同じ、、前シテ 僧 後シテ 土蜘の精、源頼光、太刀持、胡蝶。間狂言独武者二人。
頼光が病にかかったので、侍女の胡蝶が薬を持って帰り、薬を飲んで治して下さいと慰めます。不安の消えない頼光が眠っていると、夜半に得体のしれない怪僧が訪れます。不審に思う頼光に向かって僧は蜘蛛の糸を吹きかけ捕まえ様としますが、枕元にある太刀で切りつけられ、僧は糸を吹き上げ逃げ帰ります。
前半は歌舞伎ですと僧がたっぷり踊りますが、能は出てきてすぐに糸を投げて引っ込んでしまいます。間狂言が済んで、後見二人が作り物の塚を運んできます。幕の中には後シテがいるようです。独武者は数人の武者を引き連れ葛城山の塚までたどり着き、その塚を崩すと、中から土蜘の精が表れます。後見が幕を外すと鬼が座っていて蜘蛛の巣がはってあるのを破って塚より出てきます。このあたりは歌舞伎と同じだな、と思いながら見ていました。次々に例の糸を投げて戦いますがついに首を討たれてしまいます。
演じたのはまだ二十代半ばの金春憲和さんです。父安明さんの指導で若々しい迫力ある土蜘でした。
「疑問に思ったので父に聞いた所、独武者の『ひとり』は火取りとも書くそうで、孤独な武者、という意味ではないそうです。演能中に使われる蜘の巣は、鉛の芯に薄い紙を幾重にも巻いた物で、投げるとパッと放射状にひろがる能の中でも特に派手な道具です。子供の頃から演じてみたい(蜘の巣を投げたかっただけですが)曲だったので、今から本番が楽しみです。」憲和さん談。
今までみた能の中では一番動きがあって面白かったです。演じるのも発散できて楽しいと思います。率直なコメントが微笑ましいです。
投稿者 佐千菊 : 01:09 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月19日
「こころに残る言葉」宇野信夫
宇野信夫は「戯作者小伝」という安政3年に出版された本を読んで、大南北の墓が本所押上長養山春慶寺にあることを知りました。南北の作中の人物を借りて狂言を書いたお詫びと尊敬する作家の墓所に参詣もしたいという思いから、春慶寺を訪れることにしました。以下引用します。
<地下鉄押上駅の入口前でタクシーを降りると、元の電車通りを越して銀行がある。その筋向うに寺らしい門が立っている。入ってみると、寺には違いないが、門のわきにバラックが二軒並び、正面に古びた寺らしい建物が立っている。(中略)門を入って左手の銀杏の根かたに、無残に欠けた墓石が倒れている。住職はそれを指して、これが南北の墓だ、という。(中略)南北のような偉大な作家の墓がこの有様は情けない、~せめて倒れた墓石を元へ起こすだけのことでもさせて貰いたい、~とにかく南北の墓の事は私に任せて下さい、と私も大きなことを言ってその日は別れたが~私は石屋に、この南北という作家の偉大なことを説き、大事に墓石を起こすことを頼んだ。石屋は私の心持ちをくんでくれて、なんとかしましょうという。それにしてもこの墓石は、人間なら相好がくずれているようなものだから、後々の為にも、そばに、これがその豪い人の墓であることを石に刻んでおいたら如何だという。で、数日後、北千住の石の売り場へ行って、石を選んで貰った。
「なつかしや本所押上春慶寺鶴屋南北おくつきところ」
偉大な作家に対し、いたずらに私一個人の感慨をのべるべきでない事を思い、右のような、ただこの不世出の作家の墓のありかを人に示すにとどめる歌を詠んだ。石屋はそれを彫ってくれた。そして墓石を起こして、その傍に立ててくれた。それは偶然にも南北の祥月命日の前日のことであった。>
長文引用になりましたが、無残な墓石をみて、そのまま帰る事ができず、何とか石を起こして大南北の墓を整えたいという宇野信夫の気持ちがよく分かります。
この前後にも住職の人間描写、あたりの様子など、いかにも生世話作者らしい随筆ですので、お読みになるようお薦めします。
「こころに残る言葉」朝日文庫 昭和61年10月20日 第1刷発行
著者 宇野信夫
投稿者 佐千菊 : 00:07 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月15日
南北のお墓

東京新聞の記事をみて、宇野信夫が建てなおしたことを知り、彼の随筆に書いていないかと捜してみました。「こころに残る言葉」に鶴屋南北の墓/南北の墓補遺/鶴屋南北の墓その後、の3項にわたり書いてあるのをみつけました。読んでみましたら訪ねてみたくなり、両国からちょっと足をのばして行って参りました。
何しろ本の話は大分昔ですから、想像しているのとは違うと覚悟はしていたんですが、あまりにも変わり果てていて驚きました。都営浅草線の浅草通りの出口から道隔てた斜め前に春慶寺のビルが見えます。歩道橋を渡ってすぐにビルの正面玄関があります。さて入口を入って南北のお墓は?と聞いてみようと思いながら歩いていきますと、目の前に南北のお墓らしきものがありました。
入口の向かって左に石が三つ並んでいて、説明文が書いてありました。境内の中でもなく、寺の中でもなく道端です。考え様によってはいつでも誰でも御参りできて良いかもしれませんが、時代の流れを感じずにはいられませんでした。
写真は宇野信夫が書いた「なつかしや本所押上春慶寺鶴屋南北おくつきところ」が刻んであります。右の写真に「信夫」とあるのがわかりますでしょうか。
石碑が三つ並んでいる下の方に、左右にわかれて役者の名がずらっと書いてありました。、今までに成功祈願に訪れたのでしょう。
玄関ガラスドアには来月の国立のポスターが貼ってありました。
次回は「こころに残る言葉」の南北の墓の話について書くことにします。
投稿者 佐千菊 : 21:52 | コメント (0) | トラックバック
第十八回歌舞伎フォーラム 第三部
3、第3部「松王下屋敷」
「松王下屋敷」は『菅原伝授手習鑑』から派生した増補物で『寺子屋』の場の前夜を取り上げたものです。観ていますと『寺子屋』が透けて見えてきます。親子三人の家庭ドラマのようにも感じました。御台所も子供を犠牲にするほかに手だてはないかと悩んだりして、人間として扱われているように思います。
配役は第一部で解説を受け持った又之助さんの松王丸。皆さんご指摘のように声がよくセリフがはっきり聞こえて良かったです。
女房千代は京妙さん、娘役のお七とガラッと変わって、声も格も武家の女房になっていて流石です。下手の障子を開けて様子を伺うところ、色気といい、品格といい、姿も良し、ぞくっとしました。すぐに障子はしまってしまう、ほんの一瞬に千代という役を表現できるのは、腹があるからでしょう。
御台所はずっと出ずっぱりの梅之さん。三役三様で大活躍です。背が高いので大道具とのバランスがしっくりこないのですが、ただ座っているだけの御台様ではなく、ちゃんと感情を持った人間になっていました。白塗りで打掛け姿のほうが下女お杉より似合っていたように思いました。
この日はビデオカメラが入っていましたので、近い内歌舞伎チャンネルで放映されると思います。
最後に、今回小太郎役の子役を募集したところ100人以上の応募があり、その中から選ばれた6人が日替わりで出演しています。みんなセリフもはっきり大きい声で言えて、三味線の糸にのって動くのも上手で客席から拍手がわきました。子役を育てるのは容易なことではありません。御協力下さっている方々に感謝致します。
投稿者 佐千菊 : 21:39 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月14日
第十八回歌舞伎フォーラム 第二部
チケットのことをちょっと説明致します。チケットweb松竹で求めようといきますと、空席なしと表示されていますが、これは松竹さんに割り当てた分が売り切れたという意味で、実際はまだまだあります。今日受付の方に話ましたら、松竹さんにお願いしているとのことです。私は3日ほど前に電話でお願いしたんですが、今日行きましたら5列の真ん中のお席という願ってもない良いお席でした。オペラグラスなしでよ~く見えて、本当に良かったです。
第二部「櫓のお七」
中村京妙さんの八百屋お七、中村梅之さんの下女お杉、後見は又之助さん、光紀さん
お七とお杉が木戸番に掛け合って木戸をあけてもらおうとするが断られてしまう。このあたりも客席通路を歩いてサービス。京妙さんは小柄で女形に向いています。商家の娘の感じが出ていて、お杉に甘えるのも可愛い感じでした。お杉の役は、私の中では坂東田門さんが印象的です。よく踊りの会でも出演されていて、お杉役者?といっても良いほどピッタリでした。出てきただけで雰囲気があるんです。田門さんと比較しては気の毒ですが、まだ女中を演じているという段階かな。嫌味のないすがすがしいお杉さんでした。
人形振りになってからは、やはり生の演奏で観たかったです。盛り上がりも充分、お七の情熱が伝わってきました。
投稿者 佐千菊 : 22:37 | コメント (0) | トラックバック
第十八回歌舞伎フォーラム 第一部
私は今回初めて「歌舞伎フォーラム」を観に行きました。もう18回も回を重ねているのに、今まで一度も行かなかったことを後悔しています。勉強している若い役者さんの芝居を応援したいという気持はあったのですが、チケットを買って観に行くほどではないと思っていました。費用がかけられないことから、極力小人数で賄うため、音楽がテープだったりしますが、出演の役者さん方は皆さん全力投球、素晴らしい舞台でした。
1、「歌舞伎に親しむ」 歌舞伎の美/効果音
中村又之助さんがとても分かりやすく説明して下さり、いつも聴いている効果音が頭の中で整理された感じでした。客席から希望者4人が舞台に上がり、実際「雨うちわ」で雨の音を出したり、貝殻をこすり合わせて「蛙の泣き声」を出したりしました。下座の方が音をだして説明するより、交流ができて効果的でした。望月太左之助さんが雨音、波音、雪音を実演して下さり、後のお七の雪音の予習になっていました。
次に梅之さんの踊りに例の4人の方が効果音を担当して、終わりました。
一通り済んで、「松王下屋敷」の説明がありました。ここで出てきたのが「人物関係図」(いつもHineMosNotariさんが説明に作っているアレです。)良く分かりますね。この説明は実に親切で文で読むより分かりやすいです。
投稿者 佐千菊 : 21:41 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月08日
九月大歌舞伎 昼の部
9月6日に昼の部観てきました。
演目の立てかたが大変良かったです。曽我物ー丸本物ー所作事ー新歌舞伎という定式で歌舞伎のいろんなジャンルが観られてバランスの良い演し物でした。
「正札附根元草摺」 : 橋之助の五郎、魁春の舞鶴。歌舞伎舞踊の楷書をみる感じでした。
「賀の祝」 : 三つ子とその妻達なのですから同じ年格好の役者さんで実にうまく振り当てたと思いましたが、いざ舞台を観ていますと重みに欠けます。面白いものです。実年齢ではちょっと考えられない夫婦とか兄弟でも、お芝居では通用するイヤその方が却って良いという事が分かりました。
「豊後道成寺」 : これは雀右衛門の道成寺です。大道具も衣裳もスリムでありながら、華やかで艶やかで美しい。畳二帖位のスペースでゆっくり踊っていますが、舞台いっぱいに空間が清姫の情念で埋められています。「娘道成寺」を踊りこんでいるからこそ、思い入れが移入できるのだと思います。引き抜きが見事で、あのあでやかさは85才という年齢が信じられないですね。
「東海道中膝栗毛」 : お客さまのおつむをほぐして、笑わせてくれて、楽しい一幕でした。そこかしこに歌舞伎好きがうれしくなるセリフや真似事があって、ツボを心得ているという感じでした。
投稿者 佐千菊 : 00:33 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月03日
九月大歌舞伎 初日夜の部
夜の部にいってきました。
「平家蟹」幕開き、幕切れの演出は面白いが、個人的には岡本綺堂物が大好きな私の中では順位が低い。半七捕物帳によく出てくる「逢魔刻」おうまがどきという言葉が出てきてうれしくなりました。この刻限にカニさん達が次々にご登場、楽しいです。
「勧進帳」吉@弁慶、富@富樫、福@義経各々良いのに、全体的に何か足りない気がしました。義経の「判官御手を~」のところ、真ん中近くまで前に進んだのですが、あんなに近づいたかしら?とちょっとひっかかりました。
初日とあって大勢の方が掛け声をかけていました。一人ふざけた方がいて折角の気分が壊れてしまいましたね。弁慶がお酒を飲むところで「播磨屋、おいしそう!」花道六法の前に「たっぷりやって!」掛け声ではなく呼びかけですね。
「植木屋」めずらしいので期待したのですが、ハズレでした。丸本物の重い狂言の間にみると、全く色の違うお芝居で軽くて良いかも知れませんが、最初から話の展開が分かってしまって、あの内容で終わりまで持っていくのはキツイです。しかし、梅玉の駄々っ子みたいな演技もなかなか面白かったし、時蔵も好演、松也の町娘ぶりも色を添えてくれました。サラッとした肩の凝らないお芝居も、たまには良いものです。
投稿者 佐千菊 : 00:17 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月12日
朝顔~勝頼切腹
朝顔は朝早くに咲き、その日一日はもたないと言われて、はかない命を象徴する花です。歌や俳句にも多く取り上げられていますが、歌舞伎にも例があります。「本朝廿四孝」二幕目勝頼切腹の場に朝顔がうまく使われています。上使の村上義清は勝頼の首を受け取りに来る。武田信玄の妻常磐井は家臣板垣兵部が勝頼によく似た者を御身代わりに今日中に連れ帰るといって出たので、やがて戻る頃だと思って、しばらくの間、待って下さいと頼みます。その時義清は、庭に飛び降り垣根の朝顔を一本手折り、床の間の花生けにさし「この朝顔のしぼむまでは、暫時有免いたしてくりょう。花がしぼめば、それで寂滅。」と言って奥の一間に入る。兵部の帰りが遅く、結局勝頼は切腹するのですが、この勝頼は実は兵部の子、簑作なのです。兵部は信玄の手にかかって死にます。この後の場は花作り簑作(本物の勝頼)と濡衣が薬売りの女夫となっての「道行」となり、お馴染みの「十種香」へと続きます。
投稿者 佐千菊 : 13:36 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月07日
「NINAGAWA十二夜」その4≪雑感≫
雑感①
新作なのに緞帳を使わず、定式幕で通したこと。歌舞伎舞踊も普通緞帳を使っているのに、あえて定式幕を使った。この事は元歌舞伎を意識してのことでしょうか。
雑感②
「本朝廿四孝」とのダブリ。織笛姫は八重垣姫と同じ赤姫、主膳之助は勝頼の衣装。歌舞伎では偽の勝頼に濡衣が恋し、花作り簑作という本物の勝頼に恋する八重垣姫。ちょっと類似しています。
雑感③
序幕第7場 織笛姫邸長廊下の場 左大臣は織笛姫に恋し、その左大臣に心を寄せる獅子丸、そして今織笛姫が自分に恋心を抱いていることを知って、獅子丸は思い悩みながら花道を引っ込むところに
下座から独吟が聞こえてきます。「月にむら雲、花に風」長唄「一人椀久」の鼓唄の一節です。椀久が松山を思い、やるせない切ない胸のモヤモヤをあらわした唄です。これが獅子丸の悩みとうまく合っていて
印象的な引っ込みでした。
雑感④
血筋。左大臣役の信二郎、往年の萬屋錦之助に似ていました。叔父甥の仲ですから似ていて当然かも知れませんが、とてもステキでした。
権十郎のセリフを聞いた時、羽左衛門が舞台にいる錯覚になりました。セリフの言いまわしがそっくりでした。
投稿者 佐千菊 : 02:12 | コメント (2) | トラックバック
「NINAGAWA十二夜」その3≪三拍子≫
公演が終わって感じたこと
原作が一流:大シェイクスピアの文学性の高い喜劇。
演出が一流:蜷川幸雄さんは本場イギリスのロイヤル・シェクスピア劇団で初の東洋人演出家として「リア王」を演出。その他にもかずかずのシェークスピアの演出を手がけている。
役者が一流:人間国宝菊五郎はもちろんですが、菊之助・時蔵・亀治郎の3人、左団次・団蔵・松緑、信二郎・権十郎、段四郎、そして座頭の面々、主役、脇役、端役に至るまで適材適所であった。
三拍子そろったからこそ、実に格調高い新作になったのだと思います。その他照明、大道具、美術、音楽、衣装等全て「恐るべきプラフェッショナル集団」の結束で、わずか10日の稽古で出来たのだと思います。
投稿者 佐千菊 : 01:34 | コメント (0) | トラックバック
2005年08月06日
「NINAGAWA十二夜」その2≪原作との比較≫
先月の「NINAGAWA十二夜」を振り返って、自分なりにまとめてみたいと思います。
筋書を読んだり、劇評家の評やコメントを読んだりする内に益々興味が湧き、台本を読んでみたくなりました。「十二夜」の翻訳本を読むとかなり忠実にセリフが書かれています。これは<原作通りに出来るだけやってほしいという蜷川さんの要望でした。>と脚本の今井さんが言って居られるので、納得できます。又台本を作っていく段階でも初めのを再検討して<趣向で描くのではなく原作に忠実に『十二夜』をシンプルに歌舞伎化する>ことに終始し、準備稿が出来上がったとのことです。
ストーリーの順を追って比べてみますと、先ず幕開きのシーンです。今回の蜷川演出の幕開きは実に素晴らしかったです。原作は公爵邸の一室の場でここのセリフが入ります。美しい音楽、満開の桜、鏡の効果、この幕開きの感動はずっと忘れないでしょう。次は船の難破の場面ですが、これは原作にはありません。今回この場を入れたのは大成功です。歌舞伎の「毛剃」を思わせるような船が前面に進んできて、一面の大海原、特に3階からの眺めは格別でした。嵐の様子も下手黒御簾からは洋楽、次に上手の上方から三味線で激しい嵐の感じをあらわし、両者が違和感なく融合していました。
次に違うところは原作ではマルボーリオとフェステが同場面に登場しますが、今回は菊五郎が二役やるので脚本が当然変わってきます。細かい点は省略致します。
私が原作を読んで一番おかしいと感じたのは、最後の兄妹の再会のシーンです。兄のセバスチャンが先ず「妹が一人いたことはいたが海で溺れてしまった。あなたは僕とどういう関係にある人なんです?お国は?お名前は?ご両親は?」ヴァイオラ「生まれはメッサリーン。父の名はセバスチャン。兄もセヴァスチャンと申して、あなたにそっくり。ちょうどそういう身なりをして、今は海の底に眠っているはずです。まさか兄さんの姿を借りた幽霊というわけではないでしょうね。」セヴァスチャン「・・・もしあなたが女だったらよく生きていてくれた、溺れたはずのヴァイオラ」ここでお互いに確認できたはずなのに、まだ続きます。「父は額にホクロがありました。」「僕の父上にもあった。」「そうしてヴァイオラが生まれた日から13年目に亡くなりました。」「ちょうど妹が13になったその誕生日に父上は亡くなられた。」この後も自分の女の衣装が預けてある船長さんのところへ案内します。という運びになっています。とても不自然ですし、感覚が違います。ここも上手に脚色されていました。この場より前に「もしや兄上は・・・」という思い入れがあり、顔をみたらやっぱりと確信するほうが自然です。いよいよラストシーンですが、原作は公爵が「目出度いときがきたら我々の大切な結婚式をあげよう・・・」と言った後、道化のほか一同退場。道化の唄で終わるという幕切れです。これも大団円よろしく全員が舞台に出てきて、捨助が花道で去っていくという演出のほうがラブストーリーの物語らしくて良かったと思います。
簡単に原作と比較してみました。蜷川さんの演出はやはり歌舞伎座を意識した美しい舞台面を想定しての事だと思います。
投稿者 佐千菊 : 23:50 | コメント (2) | トラックバック
2005年07月30日
鎌倉芸術館「実盛物語」「口上」「お祭り」
今日7月30日、十一代目市川海老蔵襲名披露公演の巡業先は鎌倉芸術座でした。巡業は今まで一度も足を運んだことがなかったのですが、葵太夫さんのHPを毎日読んでいる内に観たくなってチケットを買ってしまいました。場所は大船駅近くで、音楽ホールとして作られたためか、ものすごく音響効果が良く、海老蔵のセリフがさらに大きく響きました。花道はちょこっと下手舞台に斜めについているだけ、花道の演技、幕切れは変えてありました。「実盛物語」はあまり歌舞伎になじみのない人には分かりにくいのではと思います。切られた片腕を死体に付けると息をふきかえし、又息絶える。隣の席におばあさんと孫娘さんが観にきていらして、おばあさんが一生懸命説明しても、孫娘さんには理解しにくかったようでした。
海老蔵は立派に堂々とした演技、馬に乗った姿も颯爽としていました。続く「口上」は5人(右之助・海老蔵・團十郎・市蔵・家橘)でした。会場に伊藤園の関係者が多くきていたようで、口上でも宣伝よろしく、聞き慣れた「おーい、お茶!」と家橘が言っていました。清元「お祭り」、團十郎の鳶頭に絡み4人で踊られました。「待ってました!」「待っていたとは有り難い・・・」は、うまく入って気持ち良さそうに、軽く踊っている感じでした。劇場の緞帳は平山郁夫の湘南の海にとんびが舞っている図柄でとてもステキでした。(私はとんびとおもったんですが、かもめ?かもしれません)明日は7月の千秋楽ですね。暑い中1ヶ月お疲れ様でした。
投稿者 佐千菊 : 23:26 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月26日
お化けと幽霊ってどう違うの?
夏は怪談の季節、納涼歌舞伎ではよく取り上げていますね。今年は怪談はないようです。
さて、お化けが出た、幽霊を見た、とか言いますが、お化けと幽霊ってどう違うんでしょう。
柳田國男の「妖怪談義」を参考にすると、お化けは出没する場所が決まっていたが、幽霊は足がないにもかかわらず風のようにどこへでも出張していくものだそうです。又、お化けはだれかれの見境なしに「バー!」とやってよろこんでいますが、幽霊の方は特定の人だけをつけねらって、他には心をむけない。出没する時間についても、幽霊は丑三時にゴーーンと鐘がなったりしてこの刻限に戸をたたいたり、屏風の陰にひそんだりする。お化けの方は特に決まった時間を決めることなどない、というのである。「恨み晴らさでおこうか。」というのは幽霊ですね。「闇梅百物語」というのは様々なお化けが登場、実に愉快なものです。1998年金丸座で、一本足が菊之助、河童が新之助(現海老蔵)、狸が辰之助(現松緑)でやったそうです。面白かったでしょうね。来年の夏に一つ賑やかに踊ってもらいたいです。
投稿者 佐千菊 : 21:35 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月14日
「NINAGAWA十二夜」・・・その一《音》
歌舞伎座7月の「NINAGAWA十二夜」は開演前からテレビで何度か特番が組まれ、前評判良く7日の初日を迎えました。私が観たのは13日ですから大分慣れてきた頃です。どんなお芝居も初めは期待でワクワクしながら幕が開くのを待ちますが、今回ほど感動を覚えたことはありませんでした。観客から一斉に「ワーー!」という声が漏れました。歌舞伎座の広い舞台前面側面、全部ミラーで、自分たちが正面に映っているんです。それからしだれ桜を背にチェンバロの演奏に少年達の合唱が始まり、かくも美しく優しい風が舞台から客席に流れてきます。この音楽は全く違和感なく心地よく感じられました。そして次の場の双子の兄妹が乗っている船が嵐にあう所では、三味線が嵐の凄まじさを演奏します。多分杵屋巳太郎さんの作曲だと思いますが、聴き慣れた三味線の合の手で見事に表現していました。正に歌舞伎です。
こうして、西洋の音と和の音がうまく解け合って「シェイクスピア+歌舞伎」のはじまり、はじまり。
投稿者 佐千菊 : 23:27 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月10日
菊五郎劇団の物干場会議
昭和24年7月10日、名優六代目尾上菊五郎は亡くなりました。梅幸は映画撮影のため京都に行っていました。知らせを聞いて<京都から帰る時、汽車の中で第一番に考えたのは、父のいなくなった菊五郎一座はこれからどうなるのだろうということだった。>11日の通夜の夜、竹心庵の階上の物干しで、とりあえず「菊五郎のいなくなった菊五郎一座をこれからどうするか」という議題で緊急会議を開いた。メンバーは男女蔵(左団次)・松緑・彦三郎(羽左衛門)・九朗右衛門・鯉三郎と梅幸といった幹部俳優でした。70人近い座員も1名だけ廃業を申しでたが、あと全員の者は、結束して菊五郎はいなくなっても名前は残し「菊五郎劇団」として再発足しようという結論に達した。後にこの会議を「菊五郎劇団の物干場会議」と言っている。(梅幸著「梅と菊」より)
昭和48年10月に当代菊五郎が襲名するまで、何と24年の間、菊五郎不在であった訳です。悲しいことに「物干場会議」の幹部連はみんなあちらに行ってしまいました。今月歌舞伎座で六代目の孫、曾孫
が新しい歌舞伎に挑戦しています。成功を天国より祈っていることと思います。
投稿者 佐千菊 : 01:39 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月07日
日月星昼夜織分にちげつせいちゅうやのおりわけ
「流星」の本外題で、安政6年市村座初演、日月星の三段返しで「宮島の日」竹本、「祭礼の月」常磐津、「夜這星」清元という構成で全て四代目市川小団次が演じたものです。後に「夜這星」を「流星」に改めています。七夕の夜牽牛・織女の逢瀬クドキがあって、そこに「御注進、御注進!」と流星が出てくるのですが、舞踊会などでは流星の出から踊ることがあります。この舞踊の眼目は夫婦喧嘩の仕方話し、亭主と女房をかわり、子雷がでてきて、婆雷も加わり四役を踊り分けるというところでしょう。当代三津五郎で初演当時の宙乗りを復活して踊って欲しいと思います。
「流星」の歌詞は↓こちらで確認できます。
http://www.kiyomoto.org/pdf_comp/ryusei.pdf
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2005年06月29日
四の切
七月の歌舞伎鑑賞教室は「義経千本桜」四段目切り、通称「四の切」が上演されます。学生にも分かりやすくケレン味に富んだ演目で、忠信を市川右近が演じます。そもそも澤瀉屋系の型は四代目小團次から二代目段四郎に受け継がれたものですが、今日のように宙乗りをして三階席の上に引っ込むようにしたのは、当代猿之助が初めてです。最初の時は猿之助に保険をいくら掛けたとか話題になりました。今ではいろんな役者さんも宙乗りをなさいますし、観ている観客もそれほど危険性を感じずに楽しんで観ております。宙乗りばかりではなく、仕掛けあり、アクロバットみたいに激しい動きでハラハラドキドキしながら猿之助演じる狐忠信に釘付けになります。猿之助はこのお役についてこう言っています。
「四の切」のポイントは、あくまでもケモノの情を表現するところにあります。そのためのケレンですから、ケレンが過ぎると心が薄まってしまいます。劇薬と同じです。」
右近は師匠の教えを踏まえて、派手に走らず情ある源九郎狐を演じてくれることでしょう。
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2005年06月28日
曾我兄弟の仇討ちの日
旧暦5月28日は曾我兄弟が工藤祐経を討った日です。五郎、十郎の兄弟が父河津三郎の敵工藤祐経を討とうと志して、十八年にわたる辛苦の末、ついに建久4年の今日、源頼朝が催した富士の裾野の巻狩で夜討ちをかけて、大願成就しました。折からの「五月闇」に乗じてみごとに志を果たした兄弟は、後々まで語りつがれ、日本人の「曾我びいき」となった訳です。
又この日に降る雨を『虎が雨』というそうです。十郎の通った大磯の虎御前が死別を悲しんで流す雨という事です。伝説の美女に同情して、このような言葉が生まれたのでしょう。
東京の今日は『虎が雨』どころか、今年最高の暑さ、曾我兄弟を偲ぶには暑すぎます。
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2005年06月24日
あやめかきつばた
今の時期あちらこちらで「はなしょうぶ祭り」が開催されています。紫の色、濃い紫、薄紫、の花が美しく、日本画にもよく書かれている花です。しかし、あやめ・かきつばた・はなしょうぶ・しょうぶと種類があって、違いがよく分かりません。見分け方が表になっているサイトをみつけました。
いずれがアヤメ?カキツバタ?
「潮来出島のまこもの中であやめ咲くとはしおらしや」端唄の歌詞ですが、水の中に生えていて花が咲くことから、これはどうやらはなしょうぶの事のようです。皆さんご存じの「藤娘」では間に「藤音頭」を入れることが多いですが、これは六代目菊五郎の演出で、おさらい会では「潮来出島」を入れる場合があります。「道成寺」の坊主が踊るところに「あやめかきつばたは、いずれ姉やら妹やら~」とあります。又端唄に「いずれをあやめかきつばた」というのがありますが、このあやめも実ははなしょうぶという事です。
菖蒲はサトイモ科で香りが良いので菖蒲湯に使われる。どうりで家の杜若の葉では代用できなかった訳です。
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2005年06月10日
寂聴源氏
博多座昼の部は海老蔵の源氏です。光源氏役も彼以外考えられない。本を読んでも頭に描くのは海老蔵の面影です。瀬戸内寂聴が源氏に魅せられて、そして等身大の海老蔵に脚本を書いて今回は一番「源氏物語」のテーマを浮き彫りにでき成功したと思います。真っ暗な舞台、紗のカーテン越しに後ろ向きの光の君に照明がスポットであたり、「成田屋!」「十一代目!」と大向こうがゆっくり掛かりました。そして再び暗転、花道から命婦の灯りに誘導されて源氏が出てきます。渡殿なのでしょうか、舞台には藤壺が伏せっていてそーっと忍びいります。驚く藤壺に光の君は胸の内を告白します。亡き母上によく似ている貴女をお慕いしている内に恋しいと思うようになってしまった。拒む藤壺、帝に申し訳ない・・・しかし二人は思いを遂げてしまう。朝明けぬ内に、誰にも見られないように退出する。さて、「源氏物語」の原文には藤壺とのこの夜のこと、一行も書いてありません。紫式部はこの後の源氏と藤壺の文の中に、忘れられない秘め事について表現しています。あくまでも読者の想像、作家の創作によって、この場が出来上がる訳です。五十四帖にもわたる長編小説はこの夜の密事から始まり、ずっと主人公を悩まし、周囲の男女との関わりも尾を引いていきます。光源氏のプレイボーイがクローズアップされがちですが、今回の源氏はこの二人の苦悩が終始貫かれていて良かったと思います。葵の上、六条御息所、夕顔が登場しますが紫の上はお話だけで出てきません。やがて藤壺は源氏によく似た赤ちゃんを産み、帝はたいそう喜び後見を源氏に頼みます。ここも帝は知っていたのか、我が子と信じていたのか分かりません。帝の深い愛を感じれば感じるほど、光の君と藤壺の苦悩は重く耐え難くなります。時間が経過して帝は亡くなります。そして一周忌の法要の時に藤壺は出家致します。クライマックス、何も聞いていなかった源氏はショックで「何故ひと言もご相談もなく・・・」と藤壺に訴えます。「相談すればお止めになったでしょう」と答えます。「あなたが冷たい態度でいらっしゃるので私を避けていらっしゃるのでは、心の穴を埋めるのに何人もの女性を求めたが、埋められませんでした。」光源氏が告白すれば、「あなたの愛を拒むことなんて誰もできません。」と藤壺も告白します。「出家して朝夕お経をあげ罪を清めたい、もうお会いすることもないでしょう」涙ながらに別れを告げます。二人は帝の大きな愛を感じ「父上、お許し下さい。」と泣きながら言います。ー幕ー
私は筋書きを買わない主義なので、記憶に頼って書いています。間違っていたらご指摘下さい。
今までで一番良かったのは演出に團十郎が加わっているからかもしれません。(前に誰が演出なさったかわかりませんので何とも言えませんが)序幕とラストが繋がっていて、感動的でした。思わずハンカチを出してしまいました。菊之助の左頬にも一筋の涙が・・・
助六も光源氏も海老蔵に限ります。博多まで遠征して本当に良かったです。
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「助六由縁江戸桜」すけろくゆかりのえどざくら
歌舞伎十八番の内、「助六由縁江戸桜」ですから海老蔵にとってはお家芸です。江戸荒事の醍醐味を立派に継承していくべき素質が立証されました。花道の出端は大きく、力強く、そして黒と赤がよく似合う男ぶりです。「助六さん、ヤンヤ、ヤンヤ!」折角の出端、あの河東節ではカワイソウ、九州と東京の方々の合同だという事で練習不足なのでしょうか?海老蔵はセリフはもう少し、地でいう所と唄う所との兼ね合いがうまくいかない時があります。菊之助の揚巻もとにかく綺麗でうっとり。花道では花魁の風格もあり、名セリフもきっぱりと上手い。揚巻の二度目の出、菊之助は白に梅の柄の打ち掛けを着て満江と出てきます。ここでは硬さが消え、母を思う優しさが感じられて、可愛い女になっていました。満江の田之助は存在感があります。この母には十郎、五郎もたじたじです。菊五郎の白酒売り新兵衛、和事の味、滑稽味が嫌みなく滲みでて、助六との好対照が際だちます。
股くぐりの時の着物の上げ具合など、思わず笑ってしまいます。左團次の意休は安心して見ていられます。すっかり手に入った役です。
去年の歌舞伎座襲名の時に感じた衝撃を今回も感じました。、つまり海老蔵は助六を演じているのではなく、助六そのまま、彼ならキセルの雨がふるであろうし、喧嘩っぷりも威勢よく小気味良いことでしょう。「揚巻のふとんの上で一杯飲もうか。」なんていうセリフが自然に聞けるのです。尚いっそう助六=(イコール)海老蔵という印象を強く感じました。
投稿者 佐千菊 : 02:42 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月09日
博多座<3>
とてもすっきりした祝い幕です。大きく三升と寿の字海老、成田屋らしいデザインです。花道が少し映っていますが、お分かりになりますか。白の雪布でもなく、浪布でもありません。王朝布?とでもいうのでしょうか。源氏物語序幕の印象的な出は光源氏が大命婦の案内でこの布の上を歩いて出てきます。
投稿者 佐千菊 : 23:17 | コメント (2) | トラックバック
博多座<2>
先ほどの階段を上がって右手が劇場入り口。そして左手にズラっとお祝いの提灯が並んでいました。中央の「寿の字海老」がとても気に入りました。
投稿者 佐千菊 : 21:36 | コメント (0) | トラックバック
博多座 <1>
6月7日、8日と博多座に行って参りました。平成11年にこけら落としをしたばかりで、客席もゆったりしていますし、3階席からも花道がよく見えます。又今月は3階席の下手10席を一幕見として確保されています。ロビーも広く、何よりびっくりしたのはトイレです。とても広くダーーとドアが並んでいて並ばずにすみます。新しい歌舞伎座もトイレを広くとってもらいたいですね。
写真は正面入り口、提灯が左右にあります。階段を登って右手が劇場入り口です。
投稿者 佐千菊 : 21:28 | コメント (2) | トラックバック
2005年06月02日
長唄「吉原雀」
この曲は初世桜田治助作詞、初世富士田吉治・初世杵屋作十郎作曲。明和5年(1768年)11月、江戸市村座初演、と大変古い曲です。放生会の由来に始まり吉原へ通う遊客を鳥に見立て、廓の情緒を組み歌形式に繋ぎ合わせ、明るく派手な調子で、唄・三味線とも変化に富んだ曲です。
二上りの”鳥尽くし”のところをご紹介します。
<その手で深みへはんま千鳥、通い慣れたる土手八丁、口八丁に乗せられて沖の鴎の二挺立ち、三挺立ち、素見ぞめきはむく鳥の、群れつつ、きつつき格子先、叩くくいなの口まめ鳥に、孔雀ぞめきて目白押し、見世すががきのてんてつとん、さっさおせおせ>
鳥の名が掛け言葉でうまくはまっています。
投稿者 佐千菊 : 22:47 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月28日
「あたまとり」のルール
「ひと言掲示板」に先ず「 」にひらがなを入れます。その言葉の漢字表記を記入、コメントを書き込みます。
外題・役名・役者名・屋号・セリフ・歌詞・作者等関連のある言葉。
「や」「ゆ」「よ」に関しては小文字でなくて良い。例 まかしょ→まかしよ
「あ」「お」は生み字も可。 例 待ちかねましたわいなあ
旧かなづかいは使わない。
点数は付きません。一つだけキーワードを用意します。その言葉が出たらゲーム終了。
この間にいつものひと言を入れても構いません。当たりが出るまで何日かかるか分かりませんが、
状況に応じて私がヒントを出します。
例 「さぎむすめ」鷺娘。玉三郎の世界へドップリ!
「あいあいがさ」相合い傘の五分と五分。新三の名セリフより
「まちかねましたわいなあ」待ちかねましたわいなあ。吉野山、静のセリフ。
こんな感じで繋げていきます。
投稿者 佐千菊 : 01:50 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月27日
「あたまとり」の思い出
成田屋さんを応援する「華・成田屋!」のHPは皆さんもご存じの事と思いますが、3,4年前に前からある「しりとり」とは別に「あたまとり」というゲームを始めました。ちょっと「しりとり」より難しく、点数を競うというゲームで面白くて段々はまっていってしまいます。東京に12月に雪が降ったことがありまして、その日などは大勢参加で、まるで早打ちゲームのようにスピードもアップ、皆さんアツクなって盛り上がりました。回を重ねると少々マンネリ、興味も薄れてしまいましたが、あの時の楽しさは忘れられません。管理人様には本当に感謝しております。私が今WEBでお付き合い頂いている方はその当時の戦友?であります。
「ひと言掲示板」を使って、お手軽「あたまとり」ができないものかと、後見に相談しまして、もうすぐスタートできるように準備できました。完全なフォームはなく、参加頂く皆様の鷹揚なご理解の下にスムーズに運びますようご協力お願い致します。具体的なルールについては次回説明致しましょう。
投稿者 佐千菊 : 11:49 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月23日
自前の小道具
お芝居で使う小道具は、役者さんの自前のものが多くあります。湯飲み、煙管、手ぬぐい、扇子はもちろんの事、二代目松緑は「弁慶」「土蜘」の数珠、「棒しばり」の棒、「船弁慶」の長刀、「髪結新三」の鬢盥、など愛用の小道具で務めたようです。先日三越劇場で「山川静夫の芸・話・人」というイベントで、七代目菊五郎がゲスト出演して「魚屋宗五郎」の芸談をセリフや振りを交えながら見せてくれました。菊五郎の使う桶、片口、湯飲み、みんな特注だと言っていました。その人の寸法に合わせて作っているので段取りもスムースに運ぶのだと思いました。
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2005年05月20日
清元『保名』
菜の花の黄色がずーっと広がっている春の野に、桜の木が一本。そもそもこの演出は大正12年3月、六代目菊五郎が田中良の舞台美術により帝劇で上演した時の、下部は緑色、上部は黄色の色調に、後年遠山静雄の照明の工夫で、今日の形になったということです。安倍保名が恋人の小袖を肩ににかけて花道から出てきます。髪も垂れ、紫の病い鉢巻も下がり、長袴・・・とみんな長く垂れています。これは保名の恋の重さ、春の愁いの重さを感じます。フランス語の「アンニュイ」という言葉がぴったりな、いかにも詩的な清元の歌詞が胸に響きます。
投稿者 佐千菊 : 23:33 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月18日
『佐倉義民伝』~「頂き立ち」
国立に行ってきました。この演目は前進座にぴったりのテーマで、劇団員全員がしっかりお芝居しているという印象でした。子別れの場で女房おさんが村の女房達に着物をあげるところがあります。寒いのに薄着では気の毒と渡すのですが、お金に換えられる品をということでしょう。女房達はそれぞれ頂き、お暇を致します。その時のセリフ「さようなれば、頂き立ちにして、もうお暇致しましょう。」ナンテきれいな日本語でしょう。このセリフが耳から離れず、皆さんにご報告することにしました。現在、余所のお宅にお邪魔してお食事をご馳走になり、早々にお暇するときは「食べ逃げ」とか「食い逃げ」で失礼ですが・・・といって帰りますね。この言葉がちょっと抵抗あって使いにくい、これからは「頂き立ちで、お暇致します。」ということにします。
投稿者 佐千菊 : 00:39 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月16日
『鷺娘』と廻り舞台
『鷺娘』は1762年(宝暦12年4月)市村座で初演された長唄の歌舞伎舞踊です。『柳雛諸鳥囀』やなぎにひなしょちょうのさえずりという五変化の一曲です。この変化舞踊をグルグル廻して見せたところ、そのしかけの面白さに観客がたいそう喜び受けたので、いわゆる”廻り舞台”の手法が定着したそうです。しかし”廻り舞台”を最初に考案したのは、大阪で宝暦8年12月並木正三により初めてお目見えしたとの事です。
投稿者 佐千菊 : 22:45 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月13日
七代目三津五郎の曾孫
踊りの名手であった七代目三津五郎はしばしば「踊りの神様」といわれ、『靱猿』『喜撰』などは素晴らしかったと聞いています。子供運がなく、八代目三津五郎は養子、九代目は婿養子、そして当代は曾孫にあたります。七代目はこの曾孫の寿君を大変可愛がっていて、亡くなる直前に「寿には私が元気になってから教えるのだから、誰にも稽古をさせてはいけない」と言っていたそうです。寿君の将来に期待をしていたのが、よく分かります。
今月の昼の部『芋掘長者』は45年振りに復活、振り付けも大和屋が手がけて、実に良い舞踊劇になりました。当代三津五郎は曾お祖父さんの期待通りに成長したと言えますね。
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2005年05月09日
初鰹!
〔目には青葉 山ほととぎす初鰹〕
江戸前期の俳人山口素堂のこの句はあまりにも有名で皆さんご承知だと思います。初夏という季節を目と耳、そして味覚とであらわしている名句です。黙阿弥の「髪結新三」永代橋の場に「かつお、かつお」と威勢の良い呼び声の魚屋が登場します。湯上がり姿の新三が花道から出てきて「かつおは、いくらだ」と聞くと「ひと節かい」、新三は廻り髪結、店賃も滞納、借金だらけの貧乏暮らし、でも初鰹と聞いたら一本買わずにはいられない。江戸下町庶民の気っ風のよさ、意気のよさ・・・飯台の上の上手く出来た鰹の活きの良さに繋がるような気がします。この場の”鰹”はさりげない江戸下町の生活描写ですが、、この味こそが世話物の楽しみではないかと思います。
投稿者 佐千菊 : 15:40 | コメント (0) | トラックバック
2005年05月08日
戸板康二著「雅楽探偵譚」
戸板康二さんは推理小説も多く書いていて、中でも「雅楽探偵譚」は演劇記者と老優中村雅楽が登場して、歌舞伎座(歌舞伎小屋)が舞台となり、芝居が絡んだ事件がおき、雅楽が解決していくという筋立ての小説で大変面白いです。題名は:「車引殺人事件」「松王丸変死事件」「團十郎切腹事件」など歌舞伎好きには興味をひくものばかりです。この小説を以前、テレビでシリーズで3,4回やりました。雅楽役には先代勘三郎が扮しました。もちろん劇中劇もありで、毎回楽しみにみていました。又取り上げてくれないかしら、雅楽は77歳ですから若い人はむきません。誰が良いだろう、松助さんはどうかな、ナンテ勝手に考えています。
日本テレビ 17日午後9時~「火曜サスペンス劇場」に〈歌舞伎役者 中村歌留多〉が放映されます。
推理好きの歌舞伎俳優、歌留多に中村福助、「葛の葉」をなぞらえた殺人事件とやらで、児太郎も出演します。雅楽ではありませんが、面白そうですね。「御宿かわせみⅢ」が来週から始まるので橋之助と兄弟揃ってテレビ出演になりますね。
投稿者 佐千菊 : 00:38 | コメント (4) | トラックバック
2005年05月05日
岡村柿紅おかむらしこう
歌舞伎座、昼の部の「芋掘長者」の作者岡村柿紅は数々の狂言を舞踊化したことで知られています。彼は高知の生まれで、後に両親と叔母とともに上京しました。この叔母は女義太夫の名人二代目竹本東玉で彼は少なからず影響を受けたと思います。新聞社の劇評を担当している頃、大正4年に市村座に入り、六代目菊五郎と組んで狂言を歌舞伎の味付けにして舞踊化しました。なかでも七代目三津五郎とのコンビで有名な「身替座禅」「棒しばり」「太刀盗人」「茶壺」等は今日も人気演目です。今月の「芋掘長者」は45年振りの復活、しかも音だけ残っていて現三津五郎が新たに振り付けをしました。回数を経て後に残る作品になるといいですね。
投稿者 佐千菊 : 22:46 | コメント (4) | トラックバック
2005年05月02日
醍醐寺薪歌舞伎 その三
国宝金堂前に設えた舞台を上手寄りから撮った写真です。
正面左右に大きなスピーカー、後方には巨大照明設備と屋外ならではの大がかりなセットです。
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醍醐寺薪歌舞伎 その二<成田屋と伊藤園>
醍醐寺境内の国宝五重塔に「お~い お茶」ののぼりがミスマッチ!
「勧進帳」で読み上げられる重源はこの醍醐寺で修行をなさったそうです。團十郎は”深きえにし”に驚嘆する、といっていますが、成田屋と伊藤園も深いご縁ですね。開演前、休憩時間にお茶のサービスがありました。
投稿者 佐千菊 : 16:27 | コメント (0) | トラックバック
醍醐寺薪歌舞伎 その一
京都醍醐寺で初の歌舞伎公演が実現しました。写真は入り口の立看板です。
投稿者 佐千菊 : 14:09 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月29日
義経ゆかりの地
源義経の足跡を訪ねて
大河ドラマで放映中の「義経」は歌舞伎ではお馴染みの名前です。牛若丸と弁慶が出会った五条橋を取り上げた長唄「橋弁慶」は明治元年初演、詞章は謡曲のそれによっています。
<昨日夜更けて五条の橋を通り候へば、十二三なる幼き者の、小太刀をもって斬ってまわり候うは、さながら蝶鳥(ちょうとり)の如くにて候。(略)>颯爽たる牛若が想像できます。
現在の五条大橋ではないということが書かれています。一筋北の松原橋だとか?お休みの一日、義経のゆかりの地を散策するのもよろしいですね。
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2005年04月24日
歌舞伎の拍子木
拍子木は相撲でも使われますし、火の用心の夜回りにも使われています。歌舞伎のは白樫の二本の棒のそれぞれの片面がふくらみのある曲線に削ってあり、その面を打ち合わせて音をだします。一本の木から背中合わせに切り取って作らないと、いい音がでないそうです。お芝居の開幕、閉幕の際、この拍子木が合図に行われます。特に幕切れのチョーンは「間」がむずかしく、主役の合図、たとえば扇子をパッと開くとか、両袖をポンと打つとかにうまくあうように打たなければなりません。めでたく「絵面の見得」となり、大向こうが一斉に掛かってチョンチョンチョン・・・と幕が閉まります。
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2005年04月18日
隅から隅までズイーと~
襲名口上が毎月聴かれるのはうれしいことですが、頻繁すぎてもどうでしょうか。口上が今日のように大勢の役者さんたちが居並び、順にお祝いの言葉を述べ、又観客の手を借りて手締めをしたり、襲名の当人が挨拶したりするようになったのは近年のことだそうです。
六代目菊五郎が明治36年に兄弟で名前を変えた時は、歌舞伎座の座頭であった九代目團十郎が一人で口上を述べたそうです。又七代目梅幸が十六代目羽左衛門と昭和22年に襲名した時は六代目菊五郎は素顔で羽織袴で立って挨拶したそうです。口上の最後に「隅から隅までズイーと~」口跡の良い役者が言うと実に心持ちが良くなります。
今のスタイルに慣れてしまうと少人数での口上はちょっと寂しいかもしれません。この2月に先代三津五郎追善と銘打って「どんたく」の狂言半ばで口上がありました。又去年11月に孝太郎の長男千之助の初舞台の口上が「お祭り」の途中に挟んでありました。こういう形もなかなか良いですね。
投稿者 佐千菊 : 22:45 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月14日
廓言葉
今月の「籠釣瓶」でも八ツ橋が話す言葉に「ありんす・・・」「申しんす・・・」というのがありますが、これは全国各地から売り買いされてくる婦女子が、江戸の吉原で不粋な田舎言葉を出さないようにしたための廓言葉です。又逆に、身請けされた後、廓言葉がつい出てしまって<お里が知れる>ということにもなります。
投稿者 佐千菊 : 12:05 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月06日
道成寺のチンチリレン
道成寺は1753年(宝暦3年)江戸中村座初演、初世杵屋弥三郎作曲の名曲です。
能の「道成寺」を原点に後日談の型をとり、道成寺の新しく建立された鐘の供養に白拍子に化けた清姫の霊が、踊るという設定になっています。長唄としても大変人気曲ですが、クドキ(恋の手習い~)の前の合方チンチリレンは明治期に三世杵屋正治郎が作曲したものです。三味線の聴かせどころで必ず客席から拍手がおこります。
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2005年04月05日
吉原仲之町の場
「籠釣瓶」の序幕の舞台、お馴染みの吉原仲之町の場の桜の木はいつも満開です。あの桜は春になると外から桜の木を持ってきて拵えます。つまりイベント用に作られるのだそうです。国立劇場のレクチャーで田中優子さんの話を聞いて知りました。「ヘェーーー!!!」江戸の昔からイベント好きな国民なんですね。
投稿者 佐千菊 : 00:29 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月02日
籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)
勘三郎襲名4月興業、夜の部初日を観てきました。
この狂言は三世河竹新七作で明治21年、次郎左衛門を初代左団次、八つ橋を福助(後の五代目歌右衛門)で初演されました。以来明治の世話物の代表作として上演されています。
新勘三郎の次郎左衛門は<見染め>で魂を奪われるところ、<愛想づかし>でじっと辛抱しある決意を秘める演技、素晴らしかったです。そして玉三郎の八つ橋も本心ではないのに愛想づかしをしなくてはならない苦衷が肚にあっての演技で見応えありました。<愛想づかし>の場では花魁衆や連れの客が大勢で賑やかに宴を開いていて、又身請けの相談まで話が進んだ最高潮のところから一転、気まずい雰囲気に変わるあたりの息を呑む転回が見事でした。
<愛想づかし>の場の下座で使われた長唄は廓の場にいつもつきものの『吉原雀』『二人椀久』そして八つ橋が部屋を出たところでは『松の緑』
なおォォォ、ォォォーーが唄われ、実にうまくのっていました。
投稿者 佐千菊 : 22:45 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月27日
没後十年
十年前の平成7年は神戸の大地震と地下鉄サリン事件という大惨事が重なった年でした。テレビでは毎日サリン、サリンで明け暮れました。その渦中に尾上梅幸は亡くなりました。前の年の十一月歌舞伎座出演中に入院、三千歳役を雀右衛門に頼み、これが最後の舞台となりました。いつもなら名優を偲ぶという特番が組まれ、ゆかりの方がゲスト出演して懐かしい映像を見ながら思い出を語ったりするのですが、どこもかしこもサリンの話題ばかり・・・私は一人寂しく”昭和の名女形”の死を悼んでいました。梅幸は品が良くて、明るくて、誠実でその性格が自ずと舞台に反映して、女形から立役まで芸域が広く数々の当たり役がありました。菊五郎が父について書いています。
今月二十四日は父の命日になります。父の境地にたどりつくには、まだまだ長い歳月がかかりそうな気がします。
没後十年、今も懐かしく思い出します。
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2005年03月24日
菊之助の鏡獅子の押隈

南座ロビーに掛けてありました。表装もステキだったのですが写真では残念ながらわかりません。平成8年5月というと菊之助襲名の時のですね。勇壮というより可愛らしい感じの押隈でした。
投稿者 佐千菊 : 00:06 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月23日
三すくみ
児雷也で登場の蝦蟇・蛇・蛞蝓は当時流行したジャンケンの一種「虫拳」を取り入れたもので、蛇(人指し指)は蛙(親指)に、蛙は蛞蝓(小指)に、蛞蝓は蛇に勝つという「三すくみ」の遊びだそうです。これを知っていた当時の人は児雷也が月影弾正照秀の大蛇の毒に身を冒されしまい、その危機を綱手の蛞蝓が術を使って救い出すという事が抵抗なく理解できたのでしょう。
投稿者 佐千菊 : 22:54 | コメント (0) | トラックバック
痛快!児雷也
京都南座『児雷也豪傑譚話』通し狂言を観てきました。文句なしに楽しい演出で最後まで飽きさせない脚本で面白かったです。第一の理由はいろんな趣向が歌舞伎を踏まえている点です。序幕は「紅葉狩」続いて「忠臣蔵・大序」「身替座禅」「箱根霊験いざり仇討」「合邦」ラストはスーパー歌舞伎風と何か馴染みの演目が連想できて、新演出なのに違和感なく受け入れられるのだと思います。もう一つは音楽がスピーカーではなく生の音である点です。太鼓の力強い音は身体に響きますし、三味線の旋律はお芝居にしっくり馴染んでいつもの下座音楽と同じです。チョボも入って作品に厚みがでます。又作品完成までトップから立ち回りの役者さんまでがみんなで意見を出し合って芝居作りに加わった事が成功の一番の理由だと思います。
投稿者 佐千菊 : 21:41 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月15日
隅田川 その二
向こう岸に着いた母親は我が子の塚に走り寄り泣き崩れます。やがて幻を追いさまよい「我が子の声と聞こえしは川に飛び交う都鳥、我が子の姿と見えたるは さし柳・・・」南無阿弥陀仏の念仏の声、いつしか夜があけます。五代目延寿太夫が作曲したラストは素晴らしく、唄を聴くだけで最愛の子を亡くした若き母親の悲しみがしみじみと伝わってきます。「空ほのぼのと明けにけり 」という歌詞からは夜明けの美しい空が目に浮かびます。そして一日のはじまりです。悲しみを乗り越えてこれからまだまだ生きて欲しいという祈りの声が聞こえます。
投稿者 佐千菊 : 05:59 | コメント (0) | トラックバック
隅田川 その一
『隅田川』は
実にや人の親の心は闇にあらねども子を思う道に迷うとは~の唄いだしで始まる清元の名曲です。子供を亡くした母親というテーマが分かりやすいので外国でも人気の演目です。都より我が子を尋ねて隅田川の畔にきた母親と隅田川の渡守との出会いから話が始まります。向こうの岸に人の多く集まっているのは何事ですか、と母親が聞くと、渡守は去年3月15日に幼い子が人買いにさらわれて長旅の疲れからここ隅田河畔で一歩も歩けなくなり、ついには息絶えてしまったと説明し、今日がその子の命日なので人々が念仏をあげているのだと話します。もしやその子はと詳しく聞くと、正に我が子梅若丸でした。渡守は泣き崩れる哀れな母親を慰め、舟に乗せ向こうの岸へといきます。
投稿者 佐千菊 : 02:43 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月14日
一条大蔵譚 檜垣茶屋の場
今月の歌舞伎座の襲名演目である「一条大蔵譚」の劇中、大蔵がお京に「~京とやら何と一曲所望じゃ」と言って、お京が舞うところがあります。下座では長唄「鶴亀」が唄われお京役の玉三郎が舞います。お祝儀曲ですから、品良くきちっと玉三郎は踊っていました。この間大蔵が真似をしたり、鬼次郎が陰から出てお京と顔を見合わせたりして、よろしく舞納めます。今回下座で演奏しているのが「鶴亀」と分かったのですが、この曲ではないこともあるようです。
投稿者 佐千菊 : 23:18 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月12日
東大寺二月堂お水取り
奈良に春を告げる行事で、これが終わると奈良に春の兆しが現れると言われています。修二会(しゅにえ)は3月1日~2週間にわたり行われますが、特に行中の12日には「お水取り」と深夜に行われる「達陀」(だったん)の行が行われます。11人の練行衆(れんぎょうしゅう)による荒行、堂内を走る靴音、五体投地(ごたいとうち)の音は厳しい修行の様とともに何かドラマティックな感じがします。そして過去帳を読み上げている時に青い衣を着た女人が現れ、何故私の名を呼ばないのかと言い、名前が分からないので「青衣の女人」(しょうえのにょにん)と読み上げたところ、修行僧の前から姿が消えた、という話があります。二代目松緑はこれを舞踊劇にしたいと思い、練行衆による達陀の荒行を群舞にして振り付けました。初演は昭和42年2月でした。
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2005年03月11日
八重垣姫のセリフに空目!
国立劇場『本朝二十四孝』を観てきました。いつもの「十種香」「奥庭」の前に「勝頼切腹」「道行似合の女夫丸」が上演され、八重垣姫、濡衣、勝頼のたどる運命がよく分かります。「奥庭狐火の場」で八重垣姫が兜をもって庭の泉水に映った我が姿をみた時に、狐の姿が顕れ、「今のは空目であったか」といいます。これこそ諏訪明神の使いである白狐が兜に取り付いて守護するという験と知り飛ぶように駆けていきます。今日では空耳という言葉は使いますが空目はあまり聞きません。辞書には「見えないのに見たように思うこと」とあります。歌舞伎とか長唄の歌詞等に今では死語になってしまった言葉が多くあります。そんな言葉に注目するのも面白いことです。何度も観ている演目でも新しい発見があるとうれしいものですね。
投稿者 佐千菊 : 00:53 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月08日
面の眼孔
02月22日(火)(5:30)-デジタル教育テレビ [ 日本の伝統芸能 ]
能・狂言鑑賞入門1で能面の眼孔の大きさが能面の種類によって違うということを聴きました。女の面は□、男の面は○、盲目の面は眼球全体が大きく丸く開いているそうです。盲目の役を演じるときは半眼で演じなければいけないそうです。踊りの方ではほとんど全部が小さい○の開いている面を使います。早変わりに使うことが多いので口にくわえて後を向いたときに素早く次の面に代えることができます。代表的な演目は『流星』『三面子守』『奴道成寺』などです。
投稿者 佐千菊 : 22:21 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月03日
女雛男雛
義経千本桜の四段目、道行初音旅、通称「吉野山」は清元の名曲です。静御前と忠信の道行は主従関係ですが時には恋仲と思わせる個所もあります。
<弥生は雛の妹背仲、女雛男雛と並べて置いて・・・>
ここでは二人立雛になぞらえての振り、「御両人!」と大向こうがかかります。
投稿者 佐千菊 : 23:29 | コメント (0) | トラックバック
2005年03月02日
弥生
弥生といえば陰暦3月のことですが、私は「鏡獅子」の小姓弥生を思いだします。弥生が大奥で鏡開きの余興で踊るうちに、名匠の魂こもる獅子頭を持つと獅子の精がのりうつり、引かれるように花道に引っ込みます。後半は二人の胡蝶の踊りから始まり大薩摩があって、いよいよ後シテの獅子の精が登場します。獅子の狂いがあり、胡蝶と戯れ遊び、段切れ二畳台の獅子の座について幕になります。
綺麗な女性と荒々しい獅子を同じ俳優が踊るところにこの舞踊の人気があります。六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」を観たジャン・コクトーは大変感動して「美女と野獣」の映画を作ったことは有名な話です。
本名題を「春興鏡獅子」という長唄の舞踊劇です。明治26年(1893)3月、歌舞伎座で初演されました。作詞は福地桜痴、作曲は3世杵屋正治郎、振付けは9世團十郎と2世藤間勘右衛門によるもので、9世團十郎初演です。高尚好みの九代目が「枕獅子」の廓趣味を排除して、傾城を大奥のお小姓に変えて品良く改作しました。
投稿者 佐千菊 : 23:04 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月08日
口上
東西東西、口上をもって申し上げ奉りまする。
この度、「噂佐菊都風」というタイトルにて私こと佐千菊のHP初お目見えの運びとあいなりました。伝統芸能に関するニュースを中心に日々、更新をいたして参ります。多くの方に情報をお届けして興味ある舞台、演奏会、催事に足を運んでいただき、日本の文化、日本の美を知っていただきたいと思います。